あなたの最後の1軒になります。デリケートな赤ちゃんや小さなお子さんを抱えるママ達にも絶大な支持!信頼でつながる本格治療院:ホリス治療院

あなたの最後の1軒になります

ホリス治療院

〒320-0072 栃木県宇都宮市若草3-16-17-105

受付時間:(休診日:月曜日)
午前9:00〜11:30/午後3:00〜7:00
※土は午後5:00まで。日・祝は午前のみ

駐車場完備・土日祝開業

028-623-6688

栃木県宇都宮市 鍼灸、カイロプラクティック、フィジカルセラピーの本格治療院

ホリスティック・チャンプルー

ホリスティック・チャンプルー 第7話
重篤患者や死亡者が増えるほど医療業界が儲かる仕組みから、人が健康で元気になるほど医療業界が潤う仕組みへ変わるには・・・!

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2013.8.31

お盆の猛暑には、冷たく冷やしたタオルで汗を拭いながら「やれやれ・・・」と、思考がまとまらない頭でこの原稿の事を考えておりました。^^:

先週辺りから庭では秋虫が鳴きはじめ、早くもつぎの季節を感じさせてくれています。

なかなか更新出来ずにいましたのには訳がありまして、兼ねてから思っておりました「自宅でできるホームケア」に関して、大きな前進を見込めるツールを検証。それを、意識を持った各ご家庭に浸透させる為の足がかりを作っておりました。

その間に、いくつかの特徴的なニュースも流れましたので、今回はニュースの紹介と医療を巡る大きな流れをつかんで頂く内容にしていこうと思います。

まず、今の時代インターネット等の通信手段の多様性と共に、様々なニュースが瞬時に広範囲に広がるようになりました。

その中で、各界の専門家の方々ともネットワークを持ち、尚且つ良心的な方々の話からまとめても、DNA(遺伝子)を破壊するものとして、ザックリと次の3種類が挙げられています。

①  放射能
②  石油系化学物質(薬・化学添加物・農薬など)
③  遺伝子組み換え食品

これを念頭に置きながら、次の記事に目を通してみて下さい。


子宮頸がんワクチン、検討会「一時的に接種推奨控える」

写真:子宮頸(けい)がんワクチンの勧奨見合わせを受け、厚生労働省が医療機関向けに作成したリーフレット

子宮頸(けい)がんワクチンの勧奨見合わせを受け、厚生労働省が医療機関向けに作成したリーフレット

【森本未紀】子宮頸(けい)がんワクチンの接種後に長期的な痛みやしびれを訴える人が相次いでいるため、厚生労働省は14日、一時的に接種の推奨を控える方針を決めた。接種は中止しないものの、自治体に対し、対象者に個別の案内を出さないよう勧告した。法により自治体が実施している定期接種のワクチンで推奨を控えるのは異例のことだ。

この日、開かれた厚労省検討会が「痛み、しびれの原因を調査し、きちんと情報提供できるようになるまで、推奨を控えるべきだ」と結論づけた。対象者は希望すれば、これまで通り無料で受けられるが、医療機関での接種前にも、推奨されていないことが説明される。接種者が大幅に減る可能性がある。

子宮頸がんワクチンは2010年に国の助成が始まり、予防接種法改正で今年4月に定期接種になったばかり。小学6年~高校1年の女子が対象で、父母らから安全性をめぐり懸念の声が出ていた。これまで推計328万人に接種され、1968件の副作用が報告されている。

検討会では、接種後に体に痛みが出るなどの健康被害43例の原因などを話し合った。しかし、因果関係がはっきりしないことから、委員からは「さらに調査が必要」との声が相次いだ。同省は、予防接種と痛みの関係について、16の大学病院などを中心に数カ月で、情報収集、分析を進め、再び、積極的に推奨すべきか結論を出す方針だ。

検討会は、接種そのものの中止は「必要はない」と結論づけた。検討会の桃井真里子座長(国際医療福祉大副学長)は「ワクチン自体の安全性に大きな問題があるということではない。さらに調査し、より安心な情報を出せるようにしたい」と話した。

(asahi.comニュースより引用)


実は3.11の後で、地震情報のテレビを付けている時に繰り返し流れていたコマーシャルで、記憶に新しい方も多いかと思います。私はその時、都内のマンションの10階で過ごしていたので、余震が起きる度に船みたに揺れる建物の動きで船酔いのようになっていたのですが、それを上回る気持ちの悪さがこの「子宮頚ガン予防ワクチン」のコマーシャルの繰り返しでした・・・^^:

このチラシが作られるようになっただけ、以前よりましになったとも言えますが、依然として「禁止」にはならずに接種が行われていますよね。

ちなみに、

同世代の女子60万人×5万円=300億円!!の市場ができあがります。

しかも副作用等に対する補償は、通常の医療品トラブルならば製造企業が責任を負いますが、ワクチンは接種させた国家の行政機関等が取ることになっているようです。

だとすると、万一の時の補償を考えずに、濡れ手に粟でお金儲けする事が出来るという事ですよね。

加えて、動物実験で既に不妊症を引き起こすことが確認されている物質が入っている事も問題にされているくらいですから、売りつけたその国の人口を削減しながら・・・という可能性のおまけ付きです。

結局、製造企業を辿れば、世界金融支配体制の医療品部門と呼ばれる、石油で成り上がった数社の企業へと集約されていく仕組みです。

不妊治療で多大なお金を支払い、また生まれてきた子供が免疫のバランスが悪ければ、いずれ薬を使う予備軍誕生!でしょう。そしてまたワクチンを受けさせ、病気になったらまた薬・・・。最終はガンになったら「抗ガン剤」というネーミングにほだされ、またまた業界が儲かる仕組みで命を縮め、最後には・・・仲間の保険企業も潤う仕組み。

と流れがしっかり作られているのですよね~。

ここまで来ると、感服いたしますよ・・・ホントに。

日本には昔から「水にながす・・・」という言葉があるように、他人から受けた仕打ちも何時かは水に流して、根に持たないようにするという知恵が織り込まれていますが、ここまで根底からもぎ取られても「オカシイ!」とも思わず、選択し直さないのでしたら、お人よしにも程があると思います・・・^^:。

そんな事をお盆中、暑さでうつろうつろしながらまとめていましたら、昨日興味深いニュースがネット上で流れてきました。


病院に金融コンシェルジュ 保険や相続も相談
共同通信社  8月16日(金)

東京都杉並区の河北総合病院が、治療費だけでなく、あらゆるお金の相談に専門家が
応じる窓口「金融コンシェルジュ」を今年5月に開設、保険の見直しや相続などに関する
相談が寄せられている。

窓口の設置は金融庁が高齢者支援と金融活性化策の一環として提案。高齢者など、治療や
介護にお金がかかる患者と家族が抱える切実な悩みに応えるのが狙いだ。

公的医療保険や福祉に関する相談窓口を持つ病院はあるが、幅広くお金の相談ができる
窓口は珍しいという。

河北博文(かわきた・ひろぶみ)理事長は「以前から医師や看護師が患者からお金の相談を
受けることが多かった。高齢者だけでなく、妊婦さんからの子育て費用の相談にも応じて
いきたい」と話す。

相談は週1回、ファイナンシャル・プランナーが予約制で受け付けている。これまでに、
加入している医療保険の見直しや遺産相続のほか、老人ホームの入所金の捻出などに関する
相談があった。個別商品の紹介はしないが、家計の節約術、資産管理なども含め幅広く相談に応じる。

河北総合病院に専門家を派遣している日本ファイナンシャル・プランナーズ協会(東京)は
「他の病院から要望があれば取り組みを広げていきたい」と話している。 


こんな総合病院が出てくる事は予想していましたが、お金全般の相談ともなると、予想の範囲を超えてるなぁ~と思わざるを得ませんでした。
健康保険税・年金など、ただでさえ若い世代にツケを残しているのに表向きはスマートに、病床から外資へと仕組みが進化している、、、と見えてくるのは私だけでしょうか。

この大きな流れの中で、各界ごとにお仕事されている人々は、現場でしっかり仕事をされている事と思います。人と人とが触れ合えば、「いいサービスだ」と感じる場面もあるでしょう。
でもこの流れ自体は、母なる大地の大きな望みに叶っているのでしょうか??
地球上の一生物として、自然の摂理に沿った仕組みなのでしょうか??
自然と呼応して育んできた日本古来の生き方は、過去のものなのでしょうか??

長くなりますので、今回はここでひと段落。また近いうちに続きを書いていこうと思います。
残暑厳しい折、お元気でお過ごし下さいませ。

(金井 朝子)

ホリスティック・チャンプルー 第6話
命と立場と恩人と・・・<1>

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2013.4.10

今回は少し趣向を変えて、私が現場から離れている今だからこそ振り返れる事の中から、

「命の扱われ方」に焦点を当ててみたいと思います。 

鍼灸院には、様々な人が来院します。

ひとは誰でも一度の人生の中では、限られた体験しかできません。ですから<鍼灸>と聞けば、その方にとってお馴染みの言葉だったり、馴染みではない言葉だったりするでしょう。

また馴染みの方でも、祖父母に連れられて小さい頃から馴染んでいた方や、今の時代でしたらインターネットで調べて、母親と一緒に通うようになる子供さんもいらっしゃいます。

そして日頃から、身体のメンテナンスで定期的に来院される方や、痛みや不定愁訴がとれるまでの間だけ来院される方、色々医療機関廻りをしてもよくならず、鍼は怖いけど仕方なく来院した方・・・。

来院された理由も様々です。

鍼灸師という職業は、形のないものを提供する世界です。ですから時々、形がある物の販売や創作して形を作る仕事が羨ましく感じることもあったりします。

以前にも書きましたように、近代、医療もマニュアル化され、点数化して検査・投薬・外科的処置などの仕組みでまわしていくサービスが世の中に浸透しました。それは恩恵も沢山ありますが、仕組みの中の惰性で流されていく<命や命の扱われ方>も沢山あるのです。

薬や注射、検査等という形がない分、常に理想を高くかかげて心と体を見つめていかないと、自分自身が惰性に飲み込まれてしまうように感じながらも、縁あって生を受けた命の運び方を、患者さんの隣で共に共有していく仕事。

一見お気軽そうで、実はややこしい仕事だけれど、私はこの職業に出会えてよかったと思っています。

「鍼灸師という仕事」という事だけではなく「鍼灸師という生き方、立場」を選んだことをそう思うのです。

  ある時期出会った、一人の創業社長・経営者のお話を聞く機会がありました・・・。

「命の恩人より大事なものがある。」とその方は言いました。

「えっっ??」

私は一瞬そう思いました。

「身体の苦痛で動けないという時に、命より大事なものって何なの???」

恥ずかしながら、そんな事はそれまで意識した事も深く考えた事もなく「命の恩人が一番!」と思っていた自分自身に気づく事になりました。

そして彼は次に何と言うのか?私はドキドキしながら早くそれを知りたくなった事を、今でも思い出します。

しばらく間をおいてから、彼は静かにはっきりと言いました。

それは、「立場の恩人だ」と。

きっと、この文章を読んでいる方が、中小企業の経営陣だったりしたら、実感としてよく解るかもしれません。または、一般的に女性より男性の方が理解できるフレーズかもしれません。

実は今でも、私はこの言葉の意味が、完全に理解できているわけではないのですが、かつて、経営者だった亡き父が大病の後、しばらく経ってから言った一言と通じるような気もして、いつまでも心の片隅に残したまま探り続けています。

近年の医療体系の真っただ中に生れ育った私たちは、よくも悪くも現代のやり方に慣らされていて、「でもどこかで何かが違う・・・」と頭ではその違和感を解っていたつもりだったけれど、何だか私にとってこのフレーズは、ハッとさせられた言葉だったのです。

普通の神経を持った医療従事者ならば、誰でも「治す」事に一生懸命になっていると思います。

「命は大切で尊い」という事は大前提です。・・・が、時として「命を救う事・長らえる事」という目的だけが、無防備に一人歩きしてしまう事もあるような気がするのです。

「命の為なのだから、検査を・・・」「命の為なのだから、手術を・・・」「命を延命する為に・・・」「治りたいなら前を向いてがんばりましょう・・・」と、多少上から目線に、教えられた色んなマニュアルを浴びせかけます。^^:

そして、過去のデータや教育に基づき、それらが唯一の答えであり、ただ一つの方法のように思わされてしまいます。

人はそれぞれに「立場」があり、本来それにまつわる責任がついてまわります。

といっても、最近の日本では責任の取り方を知らない大人が多くて、おこちゃま社会・・・なんて言われておりますが、「自分の命に関しては全て、自己責任だ」という事もきっと忘れてるんじゃないかと思います・・・。

指示やアドバイスを出す側も、言った事に関して責任を持たない。匙加減ひとつで、毒にも薬にもなるような事をしても、責任を取らずにすむように仕組まれているといってもいいようです。

聞く側も、何も考えず、基本も学ばず、あっさり「自分の命の責任」を明け渡してしまう。

そんな所に、私は大いに疑問を抱いています。

いざ、基本を学ぶと言っても、顕微鏡で見える事がすべてだ!としか教わらないから、1つの視点の範疇から外れて観る事ができないし、その一つ以外の選択肢を選ぶ権利も度胸も持てないことになっていく。そこもまた問題なのですが。^^:

そんな中で、本来誰でも背負っているはずの「立場」を思いだしてみましょう。

今回は、社会的に立派なポジションについている人だけの話ではなくて、いつも自分がしている役割の中で見つかる「立場」です。

例えば、最近では東日本大震災もあり、「助ける側」の立場の善意と「助けられる側」の立場の辛さ等のギャップが、ボランティアに関わる人たちの中でもクローズアップされていました。

そして、健康にまつわることで具体的に挙げればきりがありませんけれど、

・アトピー体質を持つ子供の立場と、出口の見えない闘病を支え続ける母親、という立場。
・癌が再発した妻の立場と、そこに付き添う、定年退職したばかりの夫という立場。
・スポーツ選手で怪我をし、復帰したいのになかなか治癒しないアスリートという立場。
・会社を背負っている経営者の立場の方に、病状や予後を尋ねられた時などの答える側の立場・・・様々です。

それぞれに味わっている苦痛は、決して他人と比べたりするものではないのです。

しかし、こんな時の「立場の恩人」とは、一体どんな事をする人なのだろう?どんな事をしない事なのだろう?

もしあなたなら、どう考えるでしょうか?

その前に1つ、生をうけたからには誰もが受け入れなくてはならない大前提を確認しましょう。

それは、生れてきた誰もが避けて通れない自然の摂理の一つに、「人は生れてきたらいつか命は尽きる」という事です。

ただし、いつ、どう尽きるのか?は、今はまだ「時の封印」として、普通は事前に知ることはできません。

大抵の方は、自分や近しい人が痛くなったり、病気になったりしてはじめて、健康の大切さや有難さをしみじみ実感される事が多いのでは?と思います。

それまで健康!を謳歌してきた方ほど、そうでなくなった時のショックが大きいようで、大した情報収集をする間もなく、先に書いた<医療のしくみ>の流れに乗っていきます。

そうこうしているうちに、何となくその場しのぎができたり、急な悪化や、思わぬ慢性的な事態へと経過をたどっていったりするのです。

<いつか尽きる今世の命>と<誰もが持っている立場>。

<自分らしいと感じる命の使い方>。

「限りある今世の命をどう感じて生きるのか」、という事は、本来もっとも個人的で多様性をもち、ユニークな選択肢があっていいポイントなのかもしれませんし、今までの時代の教育劇の副産物から離れて、直面すべきポイントなのかもしれません。

私は0歳から100歳まで老若男女、様々な職業の方に鍼灸治療の現場でお会いして参りましたが、どんな方でも何かを感じて生きていらっしゃいます。

そしてその命は、色んな立場が重なりながら、一人の生きざまを生み出していきます。

「心臓が動いているか・・・?」という狭い命の観点から少し離れてみれば、<命>と<立場>は切っても切り離せないものに見えてきます。

もし狭い観点からみた命があっても、立場がズタズタにされてしまったら、狭い意味での命は活きられるのか?

特に肉体が弱っている時、心が萎えている時には大切な事なのでしょう。

生きている限り、どちらか一方で生きている類のものではないはずです。

そんな事を、前述の社長さんは言いたかったのかもしれません。

私の既に他界した父は経営者でした。40年以上営んできましたが、大病をしてその後色々ケアをして命を長らえたある日、しみじみとつぶやいた一言があります。

私もその当時は鍼灸師も駆け出しで修業中の身でしたが、それでも最新の免疫の研究者の勉強会などにも参加しており、父には手術後のケアに万全を期してもらいたくて、あれこれ手はずを整えたつもりでした。

「いろいろ世話になったな。本当に助かった・・・。」

と父から礼を言われた時は、それなりに役に立てた事を誇らしく、嬉しく思ったのです。

が、ある時父が仕事関係の人と話しているのを小耳にはさみ、

「あの時、○○さんが「会社の手形やお金の心配は、大丈夫だからな」

と言ってくれたのが、何より一番の薬だった・・・」

という一言を話しているのを聞き、私は心が少しざわついたのを思い出したからかもしれません。

大きな金額が動く手形をどうこう出来ない自分のふがいなさの話ではなくて、その時、目の前にいる患者さんの、人間として大事にしなければならない<立場>について、盲目になっていた自分の観点の狭さに気づいて、心がざわついたのだ・・・と思います。

直接、医療行為と関係ないことかもしれませんが、やはり命の営みによりそうならば、気がついているべきなのだろうと思うのです。

きっと父の場合<立場の恩人>は、あの一言を守ってくれた仕事の仲間だったのだろうなぁぁ・・・と思うのです。随分時が流れてしまいましたが、今頃になってそう感じるのです。

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正解などないことかもしれませんし、的はずれな事をしでかしてしまうかもしれません。

それでも、<立場の恩人>という視点から、周りのひとを観て想うという事が積み重なった時、1つの命の営みにより添えたと感じる事ができるのかもしれな、と思うのです。

また患者さん自身も、自身の生きざまに沿う事とは何なのか? 自身の生命観とはどうだったのか? 自身と対峙する事なのかもしれません。

前述の社長さんは、もしかしたら私の父の例のような実務的なことを言いたかったのかもしれませんが、私には、「目先の目的に捉われすぎて」、大事なものを置き去りにしながら

1つの価値観を押し付けてくるやり方への警告、すなわちスタンダードな医療全般の一方的なサービスの有り様への警告のように感じたのです。

ホリスティック・・・より全人的な医療がスタンダードになりますように、、、

今回はこれで失礼いたします。© Kanai Tomoko

ホリスティック・チャンプルー
第5話 知らないと怖い! 近年多かったケース

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2013.2.26

2013年も明け、立春も過ぎました。冬至を過ぎたころから少しずつ陽の気が辺りに増えてくるように感じ、立春を迎えると、いよいよ新しい年の流れに入った感で一杯になります・・・。

これで花粉症が無ければ、どんなに春が素敵な季節かと感じられるのに・・・、という方も多いのかもしれませんが^^:

前回で紹介させて頂きました本「2020年「新世界システム実現」のための 言霊設計学 言霊・数霊・音霊・形霊による自己と世界の設計/《日本語族》の時代が始まります(超☆どきどき) (超☆わくわく 36) 」は、想像していた以上の反響を感じ、私もびっくりしております。今回は異例の事ですが多くの方に知って頂きたい一心で、治療院でも本を数十冊買いこみ、「欲しい!」という方にその場ですぐお手元に届くようにさせて頂きましたが、あっという間に完売してしまったようです。今、時代は大きく変わっているのですね~。とても嬉しい年明けでした。

さて今回は、前回でちょっと難しかったかな、と感じた個所を補足しながら、ここ4~5年特に多かったケースもあげてみたいと思います。

まず今年に入ってすぐの腰痛に関する、こんなニュースをご紹介しましょう。

 

~~共同通信社 1月4日配信

日本整形外科学会と日本腰痛学会は30日までに、腰痛の発症や慢性化には心理的なストレスが関与しており、画像検査などでも原因が特定できない腰痛が大半を占めるとの診療ガイドライン(指針)をまとめた。

重篤な脊椎疾患の兆候がない限り、すべての患者に画像診断は必要ないとしている。

腰痛があればまずX線で骨や神経の異常がないか調べる現在の診療の在り方が変わりそうだ。

腰痛の診療指針は初という。個々の医師の経験や勘により行われてきた診療を、科学的な根拠に基づいて統一的に行うのが目的。

2001年以降の国内外の医学論文4000件から厳選した約200件を基に、両学会の専門家が医師向けに策定した。

指針によると、腰痛は発熱や胸部痛といった危険信号の有無などで、

(1)  がんや外傷、感染などの重い脊椎疾患が疑われるもの
(2)  まひやしびれ、筋力の低下など神経症状を伴うもの
(3)  原因が特定できない非特異的腰痛

に分類することが重要とした。

非特異的腰痛は、いわゆるぎっくり腰やストレスが原因となっているものを含み、全体の85パーセントを占めるとの研究があるという。

非特異的腰痛は、職場等での人間関係や仕事量の多さ、不満、うつ状態など心理社会的要因が関与している強い証拠があると指摘し、ストレスを軽減する為のものの考え方を変える認知行動療法などの精神医学療法が有効だとした。

また、安静は必ずしも有効ではなく、非特異的腰痛ならできるだけ普段の動きを維持した方が早い改善につながるという。発症から3カ月以上たった慢性腰痛には運動療法は効果があるとした。~~

 

このニュースを読まれて、皆さまはどう思われましたでしょうか?

「なんと素晴らしいガイドラインだろうか!!さすがは科学的~!」

と感じる方もおられるかもしれませんね^^:

「専門家が統計を出したんでしょうから、素人の私にはわからないわ。言われる通りにお任せすればいいんじゃなあい?」

とおっしゃる方も結構多いような気もします。

「えっ?まだこんな段階なの・・・?うそでしょ?!」とか、

「医師の経験と勘で、、、って、今まで科学的が売り文句じゃなかったの~」

と感じる方もいらっしゃるでしょう。

どう感じ考えようと、間違いではないと思いますが、ここ10年ぐらいの間・特にここ4~5年の傾向で多かった例を紹介いたしますので、最後まで読まれたあとでもう一度、先ほどのニュースを読まれてみてはいかがでしょうか。

非特異的な腰痛が85%を占めるという研究もある事と、原因が特定できないものは精神的な問題というカテゴリーに入れられて、その先何処に回されるのか?ですが、近年臨床の現場で目にあまるケースは、実は精神安定剤や抗うつ剤などを飲まれているケースでした。

「腰痛で・・・と訴えたら、心理的ストレスによるものでしょう・・・」と言われた。とか、

同僚に

「腰痛で・・・と話したら、腰痛は精神的なことが原因なんですって」と、言いきられた!!

と、ちょっと憤慨した話をされる患者さんも多くなったような気がします。

確かに、英雄医学だった頃の西洋医学と比べたら、精神的な要素を否定して戦わなくなった分だけでも少しはいいのかもしれません。

いやはや、しかし・・・どうしてこんなに簡単に安定剤や抗うつ剤を飲んできちゃうの?

と思ってはいましたが、原因が特定できない85%の方に対してできる処方は、お薬、という流れには行きやすくなりますよね。^^:

東洋医学や他の主要な代替療法では、健康とは○○です!という定義があって、そこから外れる要素も施術者が把握しやすい面がありますし、どこを目指すのが健康なのか?がハッキリしています。

私どもでしたら、東洋医学・鍼灸医学の場合、

「健康とは身体を流れる気の運行が滞りなく、過不足なく流れてバランスがとれている状態」の事を健康な状態だとしています。

もちろん、現代的な唯物的な見方で施術している鍼灸の方は、気とか何とかは考えず、筋肉の起始停止だけで人体をみてされている方もおられます。

しかし、盲点になって解り難いかもしれませんが、現代医学には健康とは○○です!という定義が見えてきません。

これを言っているのは私ではなく、もう20年以上前からアメリカの薬学博士が言っている事なのですよ・・・

ちょっと意外でしたか?

ですから菌を見つけたり、ウイルスを見つけたり、形状や数値の異常を見つけたりしてそれらを取り除く事をしていきます。が、それらが居なくなる事を重要視するあまり、肝心の患者さんという、生物として生きている全体を顧みなくなるケースが出てきてしまう事も問題なのですが、健康とは○○です!と、いう定義が見えないまま何処を目指しているのでしょうか・・・?

「もうヘルニアは手術しましたから、治りましたよ」とか言えていたものが、精神的なものを原因とする強い証拠がある!と言っても、今度の相手は形状の異常は目に見えない心です。

毎日押し寄せる非特異的なものが原因と思われる、85パーセントの患者さんに、対処する為の科学的な処方箋をどうするつもりなのか? 私はとても心配になります。

それを最近の傾向として、脳の病気・脳の異常として診ていく傾向が強まってきているようです。

今までは、形状の異常を細かくして診ていたものを近年の現代医学は機能の異常を細かく調べ始めました!と、書いているHPなども見かけます。が、行きつく所は、やはり異常部位の数値なりデータの値にアプローチできる薬物を投与することになっていくのです。

私が若い時、腰痛や膝の痛みで数回レントゲンを撮った事がありますが、毎回きれいに並んだ骨が映り、階段も降りられないと訴えても、異常はありませんからと、冷シップを処方されておしまいでした。

逆に少しでも形状の異常が映っていたならば、そのせいにされて手術などを薦められていたかもしれませんから、ある意味余計な事をされずに済んで良かったのかもしれません。

それがこれからは、慢性的で原因が特定できないものに関しては、冷シップどころか、下手をすると処方箋として精神薬が出されることが容易に考えられるでしょう。

毎回のように書きますが、お薬がすべてダメと言っている訳ではなく、時と場合と使い過ぎが問題なのですよね^^*

でもここ4~5年は特に精神薬関係のお薬を飲まれている方が、調子が悪くなって来院されるケースが増えている事をみますと、安易に手を出していいものではない事はよく肝に銘じておいた方がよさそうです。

「坐骨神経痛は精神的なものが原因!」とか具体的なキャッチフレーズも時折目にするようになってきましたが、精神ってなに??という分野はまだまだ一般的に研究されて整理されているものでありませんよね。

こういう事をご自分でしっかり考えて、二次的に精神疾患を患わないようにされて頂くことを願っております。

認知行動療法やポジティブシンキング、アファメーションなど良さそうなものは幾つもありますし、私自身も色々体験したりもしてみましたが、上手くいく事もありますが、論理性に欠けていて、かえって脅迫観念に縛られたり、肝心な所で逃げてしまったりするケースを目にする事も多かったように思います。^^:

前回、言霊は実現することを紹介しましたが、もしかしたら今までも自分は宣言して言ってみたけど、そうはならないよ・・・と思う方もおられるかもしれません。

が、ここで再度、もし本を読まれた方は特に「構文の五階層」を実際自分で書いてやってみる事をお勧めします。

私どもも「知っているから、やっているへ」と掲げて当サイトを書かせて頂いておりますし、知識を実践に落とし込むことが大事だと思っております。

前回の補足になりますが、

(1)~(3)までは自分や他人の現状など、問題に関しての自分の感情や考えをありのままを書きだします。

これは「矛盾論」でもあり、一人称構文や他人称構文で書きだした事をみて、それを少し俯瞰して見た時に見える矛盾を自分でみていく事にもなります。ここまで書きだしただけでも、ここに大きなストレスが存在している事に気がつく事ができます。

アファメーションやポジティブシンキングでは、いいイメージやなりたい姿などを描いていきますが、自分の中を階層ごとに観ていないので、脅迫観念に襲われたり、叶う前にいくらでも逃げ出すこともでき、脳もスッキリしないままグルグルしてしまう感じです。

実際に書かれてみた方は(4)(5)の階層から俯瞰する事の難しさを実感されるのではないでしょうか。

この感覚を知る事がまずはとても大事だと思えます。

(4)  は(1)~(3)で出した矛盾も含めて俯瞰した時に、自分はどう行動したらいいのか?の「実践論」に入っていく感じです。

自らが自分の行動規範を書いていくのですよね。^^*

そして(5)は、それを受けての「存在論」になり、自分が思う世界観や意志などが書き込まれていきます。

七沢氏が「五構文は、神を掴(つか)むための安全で効果のあるツール」と言われる訳はこういう階層の整理とそれを意識して解ることの威力を知っているから・・・ともいえるのです。

ここでいう神とは、人格を持った存在ではなく、森羅万象の働きであり、また我々の心の働きのことです。

もし本当に変えたい現実がある場合は、こういった作業はちょっと面倒でも踏んでみる事をお勧めいたします。

人のほとんどは、支配されることを嫌いと言いながら、簡単に誰かの言った通りに従うことを好みます。それは己が被支配という立場だと、わかりやすく、簡単だからだとも言われています。

また、認めたくない事実としては、人は自分に大いなる力があることを一番認めたくないものだ・・・とも言われます。

でももし、健康や人間関係、ビジネスなどで変えたい現実があるならば、構文を作成し、できた構文を毎日、声に出して読みあげてみて下さい。

言霊の力を甘くみてはいけませんよ。^^*

いつか私が体験した言霊の威力の体験談は紹介したいと思いますが、その時はその威力の怖いこと、素晴らしいこと、共にご紹介できるかと思います。

日本には昔から、自分の意志を言葉にして言いたてる事を「言挙げ(ことあげ)」といい、むやみな言挙げは慎むべきという考え方があったそうです。

万葉集にも柿本人麻呂が友人に送った歌の中で、言挙げについて詠んでいるようです。

それだけに、真剣な思いで口にされた言葉には、言霊の力が備わって、霊威(れいい)が発揮されることがしるされているようです。

しかし、七沢氏はこういった情緒的な記述と、実際のツールとして言霊を作動させる事とを、ごちゃごちゃにせず、一万年以上にわたり温存されてきた豊かな知識層(意識進化や自然と感応し、それらに働きかけるトリガーとしての言霊など)へ、アクセスする為のツールとして研究しているところがスゴイ!と私は思います。

とはいえ、幼児や高齢者、病気の方はなかなか構文を作れないですよね。そんな時には、言語エネルギ—発生装置が開発されておりますので、まずは自分の環境や意識をゼロ・ポイントフィールドに整えてくれるものを活用されてみる事から始められます。

何かがきれいに整っていく感じは個々人で様々に感じるようです。

シンクロ二シティーが増えたという方、スピーカーの音が変わったとか、何だか最近すべてめぐりがいいとか、好機を逃さなくなったとか、不要な物がはなれていくとか、頭の中がすっきり整理しやすくなったとか。

コストもさほどかからないのに、変に御祈祷を受けるよりよほどお祓(はら)いの役目を果たしてくれていると感じる・・・とでも申しましょうか。

日本人は情動に振り回されがちですから、俯瞰して、どの階層からものを言っているのかを明確にすることで、国際関係にも結婚生活にも、子育てにも、そして健康を享受する為にも安心で効果的なトレーニング・ツールだと思っております。

最近思春期から働き盛りの方たちに多い、統合失調症(自分の感情や考えを収集できない状態が続く精神疾患)なども、現代を映している状態のように感じます。

世の中、情報や知識も飽和状態で頭の中もぐるぐる、ごちゃごちゃ・・・収集がつかない。脳の機能を調べて、ドーパミンが多い少ないと言っても、ではその機能がそんな状態になったのはどうして? とそれに影響を与えた前物質がさらに細かく分析されていくのでしょう。そして

「白衣を着た優秀な医療者が、顕微鏡や測定機で測っても解らないのだから、自分自身の事なんて自分にはどうすることもできない。」

と、弱い人間像が強化されてしまうような気がしています。

最後になりましたが、もう一度冒頭に書きましたニュースをお読みになって下さい。

心身相関とは、東洋では昔から言われてきた事です。

五情、五神、五志・・・等、精神をとりまく五行の分類なども、太古の人が、見えない森羅万象や心の働きの中に、それらの精緻な体系性を見出し、五行や五十音の階層などの中に組み込んで残した・・・と受け取れてきます。

症状というのは不快な事が多いので、すぐに消せる為の手段を選びたくなります。

ですから、お薬が乱用されるのです。

医療者側の問題だけではなく、患者さん側にも問題が多々あるのです。

しかし、今までの臨床の現場から感じたことは、身体から病気や症状を表す事によって、何か他の大事な物や事を守ってくれている事が多いという事実です。

よく、抗うつ剤を飲んでいて、身体の不調が改善しかかっていた人が突然自殺する、という事が起きるのも、無理に身体の反応である症状を、化学物質により封じた事による、精神活動の歪とも捉えられます。

症状があり、じっとしているうちに、修正した方がいい箇所を見つけることもできるのです。それは人により多少違って参ります。

食生活、日常に潜む経皮吸収の盲点、嗜好品の害、考え方の無理、働き過ぎ、運動不足、生き方の無理、手段の誤り、はたまた弱い人間像からの脱却・・などなど網羅した方がいい事があるのです。

余りに辛い症状は、何かに取り組む意欲も気力も奪ってしまいますから、それを緩和するための手段としてお薬が必要な事もあるでしょう。

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が、最近でしたらフランスやアメリカ等で使われているメディカルアロマ等も日本に入ってきていますから、速効性はあっても副反応があるお薬と、成分にばらつきがあって効き目が安定しにくい薬草の中間の存在として、お家でできる手当にもかなりの質の向上が期待できるのでは?と予感しています。

(品質には十分お気をつけて下さいませ。)

整えるための手段として、何を選ぶのか? 組み合わせるのか?

自分なりの命や健康に関する世界観が問われてくるのでしょう。

是非、「病を手段」にして、東洋古来の強い人間像を取り戻して参りましょう・・・*^^*

今回はこれにて失礼します。 © Kanai Tomoko

ホリスティック・チャンプルー
第4話 和らぎの世界へ

2012.12.30

毎年年末は、10月のハロウィンでかぼちゃの飾りを楽しみ、それが過ぎると12月のクリスマスに向けて色とりどりに光るイルミネーションを楽しみ、クリスマスが過ぎると何処も一斉にお正月飾りの売り出しに入り、食材もガラッとお正月一色に変わります。

若い頃はこのお祭り続きを楽しみながらも、我ら日本人の思考回路を多少、軽薄に感じたりもしていました。

がこれも今は、ユーラシア大陸の東端でシルクロードの終点に位置し、世界中の文化の受け皿になり、また地理的には島国という閉鎖しがちな条件のもと、他国の侵略や略奪をほとんど受けなかった国としての特性であり、行き詰まり解消の知恵の賜物の1つかも・・・と思うようになりました。^^*

年の終わりと新たな年の始まりに向けて、<日本語族として健康の問題にどう向きあうか?>について紹介し、考えてみたいと思います。 

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鍼灸医学といいますと「東洋医学」と認識され「西洋医学」と対比されますが、
長年この業界にいながら何かしっくりこないものがありました。

といいますのは、「東洋医学」と「西洋医学」を思想や哲学、宗教観、自然観等など色々な角度から対比するだけならまだしも、

「めざせ!統合医療」

と言いつつ、どうしてもお互いを「対立」させて観るという西洋流の物の見方の

「二項対立思考」に流されてしまいがちで、本当の意味での「統合」には遠くなっていく感じがしていたからです。

「二項対立思考」は、現代人であれば多少の程度の差こそあれ、誰でもその毒牙にかかっているのではないでしょうか?

(敵・味方)(善・悪)(天・地)(陰・陽)(男・女)・・・など互いに正反対の性質を持つ両極に分かれて、相互に反発し合いながら動きを作りだしていくことを意味していると言えるかと思います。

癌を患っている方なら(癌細胞がある・ない)、痛みがある方なら(痛い・痛くない)、(病気は不快・健康は快)・・・等は、臨床の現場では当然のように扱われています。

でもこれは永遠に戦いを続けるという世界観であり、現実を変えうる力を持つ一方で恐怖を生み出し、恐怖による支配が正当化されやすいとも言われています。

事実、西洋文明の背景にはこういった二元論的なアプローチがあり、それは自然や他者を征服することで自己の生存を図る姿勢としてみてとれます。宗教戦争、侵略戦争、搾取、革命での殺戮なども引き起こされてきました。

かといって東洋的な感じがする所として、インドの不二一元論や禅仏教では二元論を排した真の意味での一元論が説かれていると言いますが、「すべては無である」「宇宙の本質と自己の本質は究極的に同一である」といった教説の赴くところ、現実に存在する問題を無視しがちであり、現実世界をかえうる力をなかなか持ちえていないようだ・・・とも言われています。

「毎日目にしている臨床の事実を表すには、何だかどちらも違うような気がするなあ~」

と思う日々・・・。

私自身のベースは臨床家としての立場で物を見、感じ、臨床に活かす事を最優先にしてきましたが、「東洋・西洋」と言われる度に何ともどこかがしっくりこない感覚を持っていた訳です。

もう1つしっくりこない理由として、この仕事を本格的に始める前に「中国ウン千年の歴史」と言われ、「五行説」を占いや漢方医学に応用してきたとされる国を実際旅した経験から感じた事がありました。

なぜか高校生の頃からシルクロードに行ってみたい願望が強くなり、旅行本を買っては眺める日々を送っていました。

「実際は治安とか悪そうだし、一生行く機会はないかもね・・・」

と、半分は寝て見る夢の延長ぐらいにしか思っていませんでしたが、国家資格を取った後で、年上のクラスメイトだった方からある日突然声をかけて頂いた縁で北京からウルムチというシルクロードを旅するという夢が叶ったのです。

若かったから出来た事ですが、貯金は全部使い果たし、生れてはじめての海外旅行で訪れた土地へは、これまたラッキーな事に漢方家の先生による個人ツアーの一員として行って参りました。

シルクロードも奥に行けば、そこには日本ではありえない過酷な自然環境が待っている訳で、ツアーのメンバーの中には当然具合の悪い人が出てくる事が予想できました。

先生はその対処法として幾つかの選んできた漢方薬を持参されており、その環境の中で漢方はどんな役目を果たすのか、私自身、身を持って体験することになるのですがその話はいつかの機会に譲ろうと思います。

さて訪れた先々で見た光景は、砂漠からはたまた黄色の海のような大河まで様々でしたが、当然そこに暮らす人々も多様性があり、イスラム圏やロシア系の少数民族、一般的に漢民族と言われている民族など様々で、話されている言語もそれに応じて違っていました。

ある地域では、「馬は友達」として扱われ丁寧に葬られるようでしたが、「ヤギは食材」とされ、そのように扱われている様子を見て、

「自分はせめて食材として扱われませんように・・・」

と思ったことを思い出します。

それはそうと何より感じたのは、この土地で繰り返されてきた争いの傷跡のすごさなのです。

砂漠に残る壁画を見ても、顔の部分は全て侵略でこそげ落とされていましたし、滅び去ったかつての都市の跡が、まるで色のない海の底のような光景をさらして砂漠の上にありましたし、何といっても先生の縁で休息を取らせて頂いた家が、文化大革命で文化人だった両親を亡くされた末裔だったことで、生き残った兄弟たちが再起をかけて砂漠のオアシス都市で送ってきた人生を垣間見る機会を得た事も大きいと思います。

そうか・・・この土地の歴史はユーラシア大陸の国々が争いの中で何度も形を変え、今の中国(中華人民共和国)と言われてからの時間と比べたら長い長い間、「支配・被支配」というドグマの中に居たんだ・・・と、あらためて感じたのでした。

今でも「中国ウン千年の歴史」というイメージにとらわれて、過度に期待を持って病気の治療に出かける方もおられますが、冒頭に書きましたように一万年以上受け継がれてきた言語を話し、それと共に意識せずとも綿々と続いてきた日本ならではの知識と知恵の中で暮らしてきた感覚のまま、ひとくくりにイメージして行かれると、火傷することもありますから、よく背景をくんで施術を受けにお出かけくださいませ。

さて、話を戻しますが、私どもが日々臨床の現場で使っている「五行説」、もう少し詳しく言いますと、「五臓六腑説(医療用)」にからめた治療システムは、現実に変化を起こすという役割を担っています。

もし担っていないとしたら、たぶん当院は結果が伴わず、事業体としてつぶれているでしょうから・・・^^*

「二項対立の思考」という「2」という相対する要素に比べて、「五行」という「5」つの元素として「木・火・土・金・水」は「相生」「相剋」といった影響を互いに与えあい生成・変化・循環させており、この世界のことは五行の働きによって説明できるとしています。

西洋やインドにも「4元素説」もあるようですし、音階として「7音階」やチャクラの「7」等も歴史が古く存在しています。

何が言いたいかと申しますと、ここで1つの疑問がわき上がるのです。

「2つ」の間で対立するのであればそこから客観的に視点を移し、それ以外の見方や要素に視点を広げ五行説のように「5つ」の要素から対立を避ける思考になりそうなものなのに、どうして未だに共産国だったり、他国を支配する為の争いを続けたり、略奪したり、富める者が搾取する行いをするのだろう???

なぜ日本人は、先日の東日本大震災での規律ある行動がおのずととれ、他国から羨望の目で見られたのだろう???

世界各地で、古くから客観視をする要素を持ちながら、なぜ日本人、すなわち日本語で育った人たちだけが、自律的にあのような行動がとれるのか??

このモヤモヤのかたまりの感覚に正直でありたい・・・という気持ちは変わらず、単に「西洋・東洋」と割り切れず、スッキリしないでおりました私にとっては、とても興味深い現象でもあったのです。

が、このモヤモヤが解けるきっかけになった出会いは数年前に訪れていたのです。

多分、小さい頃から日本語で育った方なら、日本語族としての特性を自分で再認識する事で、健康の問題に限らずとも、より建設的な人生を送る為の一助になるかと思うので、思考を整理するお手伝いになればと思うのです。またそれが、二項対立思考に馴染んできてしまった、現代人の息苦しさへの中和剤にもなることでしょう。

今回は、著者の七沢賢治さんの最新の著作

 2020年「新世界システム実現」のための 言霊設計学 言霊・数霊・音霊・形霊による自  己と世界の設計/《日本語族》の時代が始まります(超☆どきどき) (超☆わくわく 36)

の中から、健康の問題に関する例を引用しながらまとめてみたいと思います。

詳しくは著作をご覧頂きたく思いますが少し紹介させていただきますと、氏は幾つもの分野を研究している方ですが、主にこの本の中では、「言霊学」と「神道及び世界の宗教研究者」との見地から、白川伯王家に古代から伝えられてきた祭祀の伝承者としての稀有な経験から導きだされた事と統合し、私たちが現実を変え、設計(デザイン)し直していく為の力をどう引き出せるのか・・・を解り易く書いてくれている本だと思っています。

「言霊学」とは普段あまり目にする機会が少ないのかもしれませんが、少し本から引用させてもらいますと、

~~~言語の成り立ちや構造を研究する言語学とは異なり、言霊学では言葉そのものに宿る力を探求していきます。ところが、日本人にとってその力を直感することは容易でも、論理的に説明することには困難が伴うのです。(中略)

しかし、ラテン文字のアルファベットで日本語を表記するローマ字が明治期に普及してきたことから、子音と母音の階層性に日本人が気づくようになり、それが言霊学に大きな変化をもたらすことになりました。

五十音図が現在の配列になったのは室町時代の事です。サンスクリット音韻学を参考にして整理されたと考えられています。しかし、ローマ字が入ってくるまでは、その五十音図が、子音と母音の組み合わせによる整然とした階層性と統合性に貫かれている事について誰も気付けなかったのです。(中略)・・・

その観点にもとづく新しい言霊学では、一般にいう子音のことを「父韻」と呼び、その父韻と母音の組み合わせによる音声を「子音」とよびます。

これは、父と母が交わって子が出来るという自然の摂理に合わせた呼称です。(中略)

このような近代的な言霊学は、書道家で神代文字の研究家でもあった山腰弘道という人物が明治天皇と共に取り組んだ研究に発します。それが同氏の子息である明将氏が興した「明生会」へと引き継がれました。そして、その門下生であり私の師でもあった小笠原孝次先生によって父韻の概念が確立されたのです。

言葉に生命が宿るとする言霊学の考え方は、小笠原先生によって西洋哲学と照らし合わされて哲学的な体系化が試みられ、加えて私が、量子論/量子力学との類似性を言霊学との間に見出したことで、自然科学の分野ともアナロジー的に連携するところとなりました。

つまり、ここにおいて言霊学は哲学となり科学となったのです。~~~引用ここまで

実際に「言語エネルギー発生装置」を開発されており、当院でも場を整えるのに活用したり、個人、各家族に合わせたものを紹介したりして喜ばれています。

私は言霊学を詳しく研究したわけではありませんが、開業当時から約20年に渡り「音素診」として、先輩方も検証済みで活用できるものを診断の助けとして使用してきました。

具体的にはある言語と、とある関節が呼応しているようで、その音を発すると反応が返ってくる事が解っています。

それは西洋医学でいう所のレントゲンでの形の異常として捉えられるもの以外でも、ストレスを受けていれば反応してくるようですが、残念ながらそれを証明する事は現在の機器類ではできないようです。

ただし、言霊学が「言語エネルギー」の働きとして日本語の各音の持つ潜在的な意味や日本語と精神性・霊性とのかかわりについて把握しようとする体感的な学問として日の目を見ることは、医療の世界にもよい変化をもたらすものと直感しています。

さて、先ほど「階層性と統合性」が貫いていると書きましたが、a i u e o という五つの母音ですが、世界に影響を与えうる言語としては日本語だけが「母音言語」で、西洋や中国・朝鮮半島の人は、「子音言語」として、脳が反応する事も解ってきています。

同じ東洋人であり、文化等も似ているとされていますが、おもしろいですね・・・。

母音言語である日本語の特徴として「統合性」に秀でた言語であり、客観視で取りだした個々のものを対立させずに和らぎの中で統合させるという事につながるようです。

言霊学的には西洋文明は子音文明であることから「階層性」が強い言語と位置付けられているようです。

相互理解というより、客観視で取りだした個々のものを無理にでも統一的な行動規範を定め、時の権力者によりいちいち明文化される流れをつくるとも言われます。ですから西洋的な法律学も発達したとも言われています。

音としての特徴とあわせて、日本語の中に隠された意味として、「非言語的なアプローチを可能にする言語」という一見矛盾した言い方ですが、単語の中に含まれる意味合いから、自然と言葉にせずとも相手の事も同時に思う事ができるという思考や、「なんとなく通じ合う」体験を創り出すと考えられているようです。

最近ビジネスの現場でも「ディベート!」と言っては個々の意見を取りだしてぶつけ合い、強引にでも1つ結論を導き出すというトレーニングが盛んなようですが、先ほどから書いています通り、母音文化で個々の意見なり要素なりを、自然な規律を発現させて「統合化」させられる言語が世界で日本語だけしかない・・・という事実をしっかり認識しないと、西洋化(アメリカ化)(チャイナ化)はどんどん強くなっていく一方です。

こんな事から推察して、異なる様々な要素を融和する「日本哲学」として再認識した時、世界の解毒剤となりうるという可能性を示唆しています。

こんな事を長々書いてきましたが、現代医療は戦後特に推し進められた「西洋化」(アメリカ化)がベースに体系化されており、そこによくも悪くもお金になり易い「薬」の業界と日本でしたら国民皆健康保険制度が乗っていますから、銭の宝庫なのですよ・・・^^:

よくこの辺りを客観視して頂かないと、いつまでたっても「迷い」から抜け出せないと思うからなのです。

(またこれを整理して知る事で、第一話で書きました内容の背景をより深く認識して頂けるのではないか・・・と思い、長くなりましたがまとめています。)

でないと、「細菌を敵・として抗生物質でたたく」

「癌細胞は敵・として抗がん剤でたたく」

「ウイルスは悪・だからワクチンを打っておきましょう」

「熱がでた!不快だ・だから解熱剤で下げましょう」

「血圧が高い!悪い前兆だ・降圧剤を飲みなさい」

「膝が痛い!・痛み止めを飲んで痛くなければいつも通り」

「腰が痛い!レントゲンでヘルニアが映ってる・原因かどうか解らないけど形の異常は手術してとっちゃいますか」

「赤ちゃんが生まれました。母乳にしたかったけど赤ん坊の体重がちょっと減ってます・体重を増やさなくちゃ!人工乳で牛の乳をのませちゃえ」・・・

挙げればきりがないほど臨床の現場では、二項対立思考が蔓延し、あわせて枠から外れた時の恐怖を伴ってきりがありません。我ながらよく現場で匙をなげなかったものだ・・・と苦笑いしてしまいます^^*

そして、こういう思考回路では必ずしっぺ返しを食らうのです。多剤耐性菌の出現、騙くらかすための権威者による嘘やTVでの宣伝、問題を解決してくれた風にみせて実は次の問題の種を仕込む、闘病の戦い感動ストーリーの放映等など、一度パラダイムシフトされた視点からみれば、戦いは終わるわけない思考法だよね・・・と見え見えなのです。

まあ、それが好き!という人もいるかもしれませんが、これだけ世の中全てが疲弊している訳ですから、そろそろ一万年の歴史と温存されてきた叡智が作動しなければ、嫌になっちゃいませんか???

前半に書きました客観視で出てきたいくつかの要素も、日本語の持つ「統合性」という特徴に無意識に作用され、「非言語的なアプローチ」も可能にし、おのずから規律ある行動や思いやる行動につながり、主体自体もバラバラに分断される事を防いでいたのですね・・・^^*

二項対立に慣れ切った方用に一言・・・別に私も日本の優位性を言いたいのではなく、どちらが皆にとって建設的なのか、私たち自身が選ぶ事ができると言いたいだけなのです。

歴史上、何度も外来の文化が押し寄せたにも関わらず、日本独自の音や言葉を失わずよい所を受け入れ、和歌等を読みつづけながら一万年以上綿々とつづいてきた事に裏付けされた「日本哲学」は、西洋の論理的な手法や哲学では表せない哲学として、今、我々はハッキリ自覚する時なのかもしれません。

でないと、仕上げに入ったともとれる「アメリカ化」や同時に起こっているとされる「チャイナ化」に押し切られそうな勢いです・・・^^:

さて先ほど、身体と音について検証にもとづいた体験を書きましたが、1つ1つの日本語が、即座に身体に何かしらの反応を引き起こさせるのは事実なのですが、さて、ここまで読んで下さった皆様はどう思われたでしょうか。

七沢氏がおっしゃるように、後は体感して各自で掴むということになりますが、最後のまとめとして、「健康の問題を解決する大事な事」を引用していきたいと思います。

「階層化」と「統合化」と「非言語的アプローチ」と日本語に含まれる特徴を紹介しましたが、ここに八百万の神・神道の概念として「中今(なかいま)」という哲学を入れることで、つい時系列で一直線上に考えがちで、過去に偉大な何かによって創り出された人間像的なフレームから外れる事が出来るかと思います。

「中今(なかいま)」とは今この瞬間に、創造と維持と破壊が起こっているという概念で、逆説的かもしれませんが、今この瞬間に世界が創造されているのであれば、人はその創造に関与できると考える事ができてしまいます。

私はベースが臨床家ですから、より建設的な事は何なのか?を大事にしたいのです。

ですから、例えば病気や痛みに対処していく時に、どちらの概念が建設的かどうかは、とても大事なのです。

「階層化」が強く客観を推し進めてきた結果、「広大な宇宙において人間は小さくて弱い」という人間観につながる結果となった西洋哲学に比べ、「中今(なかいま)」という概念で主観を忘れる事なく客観・統合を保持した日本の哲学は、「個人の創造意志により、関与出来る」という「力強い人間観」につながったと、七沢氏は書いています。

これを踏まえて、七沢氏は「5」という意味ともからめて「構文の五階層」という極めて実践的な手法を提案してくれております。

ここでは長くなりますので、詳しい書き方はあしからず・・・。

が、健康にまつわる問題を解決する概念として、すぐにでも知って頂きたい概念がありますので、同書から引用させて頂きます。

~~~健康と病気ということについては、どのように設計(デザイン)をすべきなのでしょうか?

まず、理解すべきは、病気(不快)の逆は快ではない ということです。

病気の正反対の概念は「憶(おく)」 すなわち、快も不快もなく、健康とも不健康とも感じない状態だと私は考えます。それが生命の本来の状態なのです。

その基本を押さえる事なしに、心身が適切に設計(デザイン)されることはなく、さまざまな代替医療を実践したとしても、それだけでは病気を治すことはできません。

人は病気になると、その苦しさから早く逃れることばかり考えて、どうしても主観的になってしまいがちです。そして、病が重いほど闘病が人生のすべてとなり、そのフレームからなかなか抜け出せなくなってしまいます。

そこから抜け出して本当に病気を良くするには、自分が陥っている「闘病ドラマ」から離れた視点を持つことが必須であり、それには「リフレーム」と、「憶(おく)」の状態への洞察を深めることが有効です。

そこで、健康問題をテーマにした「構文の五階層」では、「一人称構文」で病気の不満を、「他人称構文」で治りたい願望を、「複合一人称構文」では、その不満や希望を持つこと自体があなたの心身に動揺を与え、かえって「憶」の状態にいられなくしているという事実を記述する事になります。(筆者注:ここまでで一旦自分の感情や思考を出して、ちょっと引いて観る事で整理をつけていきます)

さらに、「優先構文」では、いったん「闘病ドラマ」のフレームから離れて「憶」の状態についての洞察を深めていきます。

つまり、病の有無にかかわらず、今この時に「憶」の状態にあるにはどうすればいいかを考えるのです。

そして最後の「自在構文」では、病気が教えてくれたこと、病気から学んだことは何かという事を考えてみます。これは、「生命とは何か」「病気とはなにか」という生命哲学を自分なりにまとめることだと考えればいいでしょう。~~~引用ここまで

入れ物に様々な大きさの砂利を入れて、ある周波数で振動させると、しばらくして入れ物の中で粒の大きさの違い別に綺麗に分かれるという実験があるそうです。

バラバラに入った砂利を、無理に1つのフレームで強制する事をやってしまいがちですが、階層化で自分の中にあるものを眺めて、少しずつ俯瞰の度合いを高くしていくことで、「病気の自分」というフレームから離れて、その病気や痛みが持っている「潜在的な意味」を自ら掴むことが出来てきます。

綺麗に分かれ、あるべき所にあるように存在する階層に分かれた砂利のように、自分の中が綺麗に整うという事は、真に気持ちがいいものですし、自然と迷いも減ってくる事や周囲の状況もおのずと上手く回りはじめる事なども不思議です。^^*

ですから当院で掲げている「身体の声を聞きましょう」という事を叶えるのにも、とても有効な手法なのです。

「構文の五階層」はある種の心理療法にも類似していますが、単に心を整理するばかりではなく、願望を具体的な現象として叶えるという点が異なります。と七沢氏は書いています。

特に生死にかかわる病や、対処方が見つかり難い筋痛症、筋・腱膜炎など、長引く先の見えない痛みなどをかかえる方にとっては、まさに「憶」という概念がもたらす和らぎは、今この時から精神の大きな支えとなる事と思います。

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本には健康だけでなく、恋愛やビジネスの現場での例題も書かれていますので、「言(こと)」が「事(こと)」として出現する事を体験し、願望を実現させる方が増える事を楽しみにしたいと思っています。

長くなりましたが、お正月は和歌でも読んで日本語族のありがたみを感じてみましょうか。

2013年がよい年になりますようにお祈りいたします。© Kanai Tomoko

ホリスティック・チャンプルー
第3話 ビックリした臨床でのケース(後編)

2012.12.4

今回は前回の続きを書いてしめくくります。

前回の冒頭に書きましたように、敗戦後駆け抜けてきた時代というのは、経済最優先の時代でもありました。石油産業という莫大なバックがお金を生み出し、薬産業や食品、毎日手にする日用品にも「原料費の安さ」を最大の武器に乗り込んできて、法律もどんどん認可を出していってしまった時代です。

そんな時代背景の影響を受けながら、人の欲求も変わっていくのだと思います。

ホームページ(治療の選び方の項)でも書きましたが「マズローの欲求・5段階」で解り易く図解してみました通り、人は生存していく段階で幾つかの層を通り抜けていくようです。

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少し書いてみますと、例えば水の中でおぼれている人がいたとして、いくらその人が人格者であろうと、ひねくれた性格であろうと、その時考える最優先の事は「呼吸の確保」ですよね。

何か浮いているものはないか? 探してつかまるかもしれません。


呼吸が確保できたら少し落ち着いて、次に目指すのは「陸に上がること」だと思います。どんなにひねくれていようが、人格者であろうが、普通は陸を探して上がろうとします。

何とか上がれたら、いつまでも雨ざらし野ざらしでいる訳にもいかないと思います。ですから、「屋根がある所に行きたい」と思うはずです。

とりあえず、人の中に戻れて、人並みに場所が確保できた!と、ちょっと安心できます。

ここまでくると、大分落ちついて周りがみえるようになり、同じ屋根でも色んな屋根や趣きがある事が見えてきます。そうなると、今手に入れた屋根を自分の趣向にあったものにしたい・・・とか、あっちの土地の方がいいとか、人によっては他人と比べて少しでも見栄えを良くしたいとか、色々と置かれている位置を気にしたりするかもしれません。

さて、最後の段階ですが、それまで「生存の欲求」を満たす為に費やしてきたのを過ぎて、最後に目を向けたいのが「自己実現の欲求」だと締めくくられています。

多分今の時期でしたら、「地球(ガイヤ)の集合意識の決意」との協調として、共存共栄の道を選びとる、人間としての決意が望まれていると感じます。

この辺りまでくると、人としての資質でこの先どうしていきたいのか? に方向性の差が生じるのかもしれませんが、環境や周りの人があっての自分ですから、せっかく二本足で歩行する視野を手にした人類、よい方向を目指す人が増える事に期待したいものです。

さて話を戻しますが、戦後のどさくさの中で色んな意味で人材も足りない中、子供も増え、早急に占領下での新カリキュラムで学校を回し、経済を優先して命は原料費の安さより下に回され、それでも頑張って、根性で乗り越えろ!と叱咤激励し、意味も解らず教科書を覚えこまされ、やれ、平均寿命が延びた、バブルだ!と、とりあえず目先のニンジンを取るために走ってきた近代を背景に、医療に限ってだけ「マズローの欲求」の最高段階まで進んでいるとも思えません。

これは個人の感覚の違いにもよると思いますが、今の日本の社会や医療って、どのあたりの段階だとお感じになりますでしょうか?

さすがに野戦病院のような状態からは抜け出した感はありますが、ほんの20年前に起きていた臨床の現場で見た光景が、前回あげたケースだった事を忘れないで下さいね。

併せて各自の病院は、現在、独立法人として採算を各病院で確保するように変わっています。

そこに「国民皆健康保険制度」をのっけてありますから、国民は何も変わらないサービスを受けているような錯覚を覚えますが、実際、最近でも東京医科大茨城医療センター(茨城県阿見町)で保険の不正請求が発覚し、「保険医療機関指定の取り消し処分」を食らっています。保険医療機関指定を取り消されたら、大抵の病院は倒産に追い込まれます。

なぜなら、自費診療で採算をとれるようなサービスや仕組みにはなっていないからです。

地方にある大きな総合病院が倒産したら大変だ! と、

条件を付けて開業を続けているようですが、保険医療機関指定取り消し処分の間は、健康保険が効かないので、「療養費払い」ということでしのぎそうです。

こうして、大手だからと経営破たんしそうな所を補助して救う行為は金融関連にも広がっているようですから、市場の原理にそむきまくった結果がまた近い将来のツケになるのでしょう。

因みに、病院経営で採算が取れるようになる為には、売り物であるサービスや商品を売る事はどの業界も一緒です。

ついつい、医療だけは違う・・・と錯覚しやすいのですが、いい悪い・好き嫌いではなく、まず、病院が何を売っている所なのか? 現実にそって冷静に見つめる事が大事だと思います。

経営する事は、覚悟が要ります。

世の中、固定給をもらって生活している人が最も多いと思いますが、その人が所属している勤務先の事業体は、固定給ではありませんよね。歩合制で成り立たせている訳です。

その中で、固定給で守られながら勤務し、生活をしている訳です。

何が言いたいのかと申しますと、病院経営が独立行政法人や医療法人という事は、独立採算制ですから稼がなくてはなりません。その稼ぎ方は、経営者の数だけ違いがある事を頭の隅においておくといいのかもしれません。

とてもバランス良く、関わる者すべてに害を与えずに経営している所もありますし、残念ながらそうでない経営をしている所もあることでしょう。

中には現場で、患者さんの為を思って、純粋に熱心に新薬へのチャレンジを勧めてくれる場合もありますよ。

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イケメン又は美人で、自分の事を考えてくれて、一生懸命な主治医に、未知の新たな可能性のある新薬を勧められて、はたして正常に判断できる自信はおありでしょうか???^^

くれぐれも、先の事例から何か感じとっていただき、取り返しがつかない事にならないように、恩恵のみを受けていただきたいと願っております。

長くなりましたが、祖父と母がお灸で命を吹き返した因縁か、私も多分この世界観を知り、身体の持つ不思議な力と出会わなかったら、もっともっと辛い人生になっていた事と思います。
誰もが持つ自身の力を思い出す事で、もっと自信が持てるようになるのかもしれません。

「匙をなげられた」事が、こんな世界を思い出させてくれるきっかけになり、皮肉にも別の意味で人生を変えしまった事に、また因縁を感じてしまいます。

まだまだよりよい世界を作る為の突破口はある!!というメッセージにかえて、今回はこれで失礼いたします・・・。  ©  Kanai Tomoko 

ホリスティック・チャンプルー
第2話 ビックリした臨床でのケース(前編)

2012.11.22

今回も、現場から離れている今だから書ける具体的な事を、心のままに書いていこうと思います。

 

先日「ALWAYS 本当は怖い 昭和30年代」という、今年発売された本を手にとる機会がありました。

私は昭和40年代生れですが、臨床の現場を通して、明治生まれの方から平成生れの方まで幅広く接する機会を頂きまして、世代ごとに特徴がある事を感じていましたし、戦後の経済重視の流れの中での命の扱われ方も、次世代に回された「つけ」もある程度感じておりました。

そんな自分が、今この本を読んでみると「昔はよかった~」と懐かしんで言っている状況ではなかった時代だったことを改めて自覚し、苦笑してしまいました。

機会がありましたら目次だけでも目を通されると、何をやらかして今のベースを作ったかが垣間見られ、自分や大切な方の健康や命を守る物差しを作る一助になるかもしれません。

さて、この本の言葉を借りれば、まさに「地獄の30年代」の次の10年を思い切り堪能しながら幼年期・青年期を送った私ですが、晴れて国家資格を手にし、バブル絶頂期の日本だったにも関わらず、自費診療の職場を選んだ事で、安い時給に耐えながら修行の日々に突入したのでした。

そして、臨床の現場を通して目にした数々のケースの中で「これが現実なのか・・・」とびっくりしたケースを、今回は書いてみようと思います。(約20年以上前のケースが主ですが、プライバシーに触れないように、多少幾つかの似たケースをまとめた形でアレンジして書かせて頂きますので、ご了承くださいませ。)

私どもが郷里で開業して約20年になりますが、この業を生業にしている家系図としては、三代目になります。

私の母方の家系の祖父と私の母は、共に「お灸」で命を救われた因縁がありまして、まさに医師から匙をなげられて、諦めの絶望の中で最後の頼みの綱として施されたお灸で病を克服した体験を持つ者です。

祖父は自らの体験後、当時勤めていた国鉄を辞職し、この不思議な業界に入り、亡くなる直前までこの仕事と研究に没頭した人生を送りました。

母が小さい頃、戦後の混乱の中でいのちを落としそうになった時、医師から匙をなげられた後にお灸を施したのはこの祖父でした。

「匙をなげられた・・・」と繰り返し書いておりますが、これから書こうとしているケースは、「匙をなげられなかった」方々のお話になります。

私が青春期を捧げて務めた幾つかの自費診療の鍼灸院では、都内も含め場所柄や院長先生のお人柄によって、来院される患者さんも年齢や職業など千差万別でした。年齢は0歳から100歳まで、職種も経営者、主婦、芸能人やセレブな方々、生産者の方、サラリーマン・OL、企業戦士の方、プロのアスリート、学生、日本語がかたことの外国の方、はたまた立派な刺青が入ったお兄さんまで、それはもう多種多彩な方々です。

それぞれの治療院にもよりますが、大抵は一般に病院を受診して割かれる一人あたりの診察時間に比べたらたっぷり時間をとるのが常です。

問診やら触診やらで、治療時間も含めて約1時間は傍らに術者が居る状態になり、患者さんも時間がなければ口を閉ざして言わなかったような事をお話してくださる事も多くなるのです。(もちろん、寝ていてもいいのですが・・・^^)

そして、私たちの仕事は、患者さんの皮膚や筋肉を通して直接&関節的に情報を拾っていく作業でもありますから、時にダイレクトに身体が訴える「声にならない声」も把握されていきます。

前置きが長くなりましたが、そんな中で、若かった自分にとって忘れられない最初のケースとなったのは、歳のころは中年を過ぎた二人の兄弟の方なのです。

今では街を歩いていても殆ど見かけなくなりましたが、お兄さんの方は大きく身体が傾いて胸郭の形が左右で大きく違っている事が、左右の肩の高さの違いですぐ解る風貌でした。

ジャンパー等をはおっても、片肩がずるっと抜けたようになって、きちんと着る事は難しい感じです。

このような風貌の方はこの時代には結構見かけていたと記憶しています。

このお二人は兄弟で同じ肺の病を患っていて、時期を違えてそれぞれ同じ目的で手術を受けていたのです。

とはいえ最初は同じ病だったとは、気がつきませんで、後から知って驚いてしまったのを思い出します。

弟さんの方が手術を受けたのはほんの数年差で後だったようですが、二人の風貌の違いとこれから過ごす人生の違いをまざまざと浮き彫りにして見せてくれているようにも感じたからです。

私には詳しい術式は解りませんが、お兄さんは肺の手術をする時に肋骨を何本か削りとって無くしてしまいました。命が尽きるまで肋骨は戻ってはきません。左右差が大きく、バランスを崩した身体がつらくなると、私たちのような施術を受けて少し元気を取り戻し、頑張っているようでした。

あの時代の男性ですから、そうそう弱音はおっしゃらなかったように思いますが、診療ベッドに横たわる時に「ハァ~・・・」と大きくため息をつく事が全てを物語るように、本当はつらいのだろうな、と感じさせる瞬間だったように思います。

何といっても、片肺が大きく無くなっている上に、左右のバランスが大きく崩れた身体といつも一緒なのですから・・・

こんな方を目の前にすると、「命が助かったのですから、良かったじゃないですか」とは、とても言えませんでした。

弟さんの方は、その後の術式の進化と流行りなのか、病の位置の違いなのかは解りませんが、肋骨は温存されたままでしたので、バランスを大きく崩す風貌にはならずに済んでいました。お兄さんと比べたら、今後養生しながら生きるのに必要な労力やコスト、時間を考えたら、うんと楽であろう事は容易に想像できました。

「兄貴は気の毒だったなぁ」

と、もらしていたのは覚えています。

昔の事ですから細かな事は思い出せませんが、ほんの数年の差で大きくそれぞれの人生を変えてしまったケースです。それほど急を要する必要があったのかどうかも、今となっては解りませんが、急を要する必要がないのなら、二度と戻らないような、バランスを崩す事はよくよく考えてからの方がいいように思います。

今はそんな事はないよ・・・とお思いですか??

いえいえ、今でも似たような事はあるかもしれませんよ・・・

アスベストの問題だって、今でも引きずっている我が国です。インフルエンザのワクチンもバンバン宣伝して市民権を得ていますけど、他の先進国ではそんな事をしていませんし、数年後には非常識に変わっているかもしれませんしね。

不安があって確証がない方は、まずは急を要しない場合、動けるうちに少しずつ調べておくといいですよね^^

以上はいくら身体に代償作用があるとはいえ、地球で生きている限り重力と付き合わなくてはならない事を肝に銘じておくべきだと痛感させられ、「命があればいいのか?」と色々と考えさせられたケースでした。

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もう1つ紹介しましょう。

当時、脊柱の側わん症に関して、「匙をなげられなかった」ケースです。

その方はとてもチャーミングな方で、外見はとても明るく元気そうな女の子でした。

が、私たちの様な施術を定期的に受けに通う理由がありました。

彼女は、背骨が側わんしているという事で手術を勧められ、背骨全体に沿ってワイヤーをとめ付ける手術を受けていたのです。

これで背骨は真っすぐ!側わん症は改善されたという訳です。

これを読んでいる皆さまはもうお解りだとは思いますが、背骨を強制的に真っすぐに維持したからと言って、腰痛や肩こりがおこらない訳ではありません。ましてやとめ付けたワイヤーは身体の線維とからみつき、一生涯とりはずせるものではありません。

当院でも背骨のゆがみの状態は、患者さん自身が目で確認できるように工夫しています。

が、人間の身体は効き手効き足があるように、微妙な歪みや偏りは常に存在しています。

このゆがみの程度と、動きがブロックされて動かないカ所、逆に動き過ぎてハイパーになっている所が過度にバランスを崩すと問題を起こす事につながります。

形状は綺麗な事にこした事はありませんが、形状の問題が痛みが出る出ないの原因の全てにはなっておりません。

<第1話>でも書きましたが、「人間を精密機械」と同じように観てみる事は、間違いではありませんが、そうとしか見ないのは生身の人間を見る上で限界がくるのです。

当時彼女やその両親が、どんな説明を受けたのか、受けなかったのか、どんな見方で身体を捉えて手術を選んだのかはわかりません。

しかし事実は、側わん症ではなくなった、が以前より身体全体の調子が悪くなった事、背中に大きな消えない傷が残った事、ワイヤーは生涯取り外せない事、その重金属が少しずつ溶け出し悪さをする影響は考えられていない事、そしてそれらの苦痛を和らげるために、生涯それだけの労力・コスト・時間が使われていく事、等が背負った事実なのです。

側わん症で死ぬという事はありません。「匙をなげなかった」医療のチャレンジだった事で悪気はなかったとは思いますが、「人間を精密機械と似ているから・・・」ではお粗末すぎます。

今はインターネットが普及していますが、逆に不安に付け込まれて、間違ったことが普及して市民の常識になってしまう事もありますから、日頃から自分の中の判断のベースをしっかり作る事を心がけておきたいものです。

(後編へつづく)・・・©  Kanai Tomoko

ホリスティック・チャンプルー 第1話 混乱の大元

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2012.10.11

鍼灸師という医療業界の異端的立場を選んで久しい私ですが、だからこそ見てきた風景を今、振り返ってみたくなりました。

今まで目先の現実に対応するのに忙しくて振り返る事もままならぬ日々でしたが、プライベートも含め、ライフスタイルが180度変化した事もあり、ここしばらく現場から離れた所に身を置く事になっておりました。

現場から離れているからこそ書ける機会、改めて客観視できる時間等などを頂いたと考えて、書き連ねてみたいと思っています。

三分間診療とはま逆の現場を通して見てきた風景を、心が感じるまま書いていきたいと思いますので、よろしければ、しばしお付き合いくださいませ。

 今まで務めた職場は都内を含め、すべて自費診療の鍼灸院でしたが、約20年前に開業した当院も含め、訪れる方は、本人が自覚されている・いないに関わらず、色んな思いを抱えて来院されていました。

特にこういった治療を受けるのが初めての方は、症状の辛さはさておき、一体何をされるのだろう、、、?どんなひとがやっているのだろう、、、?という不安の方が大きいのではないでしょうか。

そしてまず「鍼」という言葉から連想されるのが、たいがい「縫い針」か
「注射針」・・・^^;

いくらホームページで、鍼の形状の違いと機能の違いを説明したところで、昔指先に縫い針をまちがってチクリと刺してしまった体験から連想されるイメージは、なかなかぬぐいきれないのが人間だと思います。

という私も、好き好んで鍼のむしろが好きな訳ではなく、鍼独特の「響き」も全く好きではない人間でして、ただただ祖父の吹聴する身体観の面白さと、人の手当を感じさせる施術方法とそこから得られる結果、そして皮膚を通して得られる不思議な情報に、人体の神秘を感じ魅かれているだけの事。

出来れば「鍼」という手段の1つである道具は最小必要限に押さえても、よい結果を導ければよし!と願っている一人なのです。

ですから、昔から鍼の治療になれたベテランの方々には物足りないでしょうが、子供さんや初体験の方、ただ単に症状をとる事だけが目的ではなく定期的に身体を整えたい方、鍼に恐怖心がある方には特に、朗報なんじゃないかと思います。

治療というのは、なるべく痛みや恐怖を感じないほうがいいと思ってますから、現場を離れている今でも、日々その願いを叶える為に励んでいるつもりです。

励んでいます!!と言うと聞こえがいいのですが、私自身の現実は「励まなくてはならないような状況」に自分自身が追い込まれる人生の連続・・・。しかも必ず現代医療では治療法が確立されていないような所につかまるときている。^^:

あれこれ全力で取り組み、さもまことしやかなものに、まんまと一杯食わされたり、スカされたりしながらも、その結果、日々検証が積み重なり今に至っている次第であります。

さて、前置きが長くなりましたが、「鍼」というイメージを乗り越え来院して下さった患者さんは、本当はもうそれだけでも「スゴイ!方」なのです。何とかしたいという思いも強い方が多いように感じますし、「自身の知らない自身」に触れる事への柔軟な姿勢もある方も多いと思います。

そんな方とお話をさせていただきながら施術をしていきますが、多く感じる「思い」と申しましょうか・・・、医療業界に関する「不信」と「信頼」という正反対のものが、グチャグチャと入り乱れているように感じていました。

すごく極端な例を挙げますが、医療機関で

「先生を信頼して、お任せします」

と言って全面的に「癌と戦う事」を実践した結果、内臓の殆どといっていいくらい多くを取り除く、という「手術という治療法」を選択した故人・元アナの逸見マサタカさん。

癌はなくなって「癌に勝った」としても、最後は多臓器不全で亡くなっている。最終死因は「多臓器不全」ですから、「癌」で亡くなった事には統計上はならないのです。

また、USAの事ですが、家系に乳がんの確率が多い姉妹が、自分たちが罹らないで済むようにアドバイスを受けて実践した事に、何も起こらないうちにあらかじめ乳房切除の手術を受けた、という実話です。

もう1つ大事な事は、本人や家族も、そのやり方や医師を「選ぶ」という決断をした結果ですから、その結果がどうであれ、その責任は自らに降りかかってきます。

そして他から見ていかに気の毒な事と思えても、当事者が不幸な事と感じている・いないは他人には解らない事なのです。

これはすごく極端な例ですが、解りやすい例なので書かせて頂きました。

そして、厳しくも大事な示唆が詰め込まれているメッセージとしても、忘れる事が出来ないので書きました。

誰でも心の片隅に、これと似たような事実をうわさやなにやらで聞いて知っているだけに、

「信頼はしたいけれど、したくない・・・」という気持ちが混乱して渦巻く事になっているのでは?とお察しいたします。

例えば来院される方の中には、様々な薬を長年乱用(医師の指示ですが)してきた結果、自らが思っていた以外の状態になり、あわてて来院される方も絶えることはありませんでした。

中には処方されるままボーっと飲んでしまった方もおられましたが、大抵は本やインターネットで副作用まで調べたり薬剤師に聞いたりして、本人は薬物の素人とはいえ、一応自身でも納得して服用していた方も多くいらっしゃいました。

そんな方ほど、やりきれない思いを抱えて来院されるのですが、心の声としては

「まじめに服用していたのに・・・なぜ?」

「やっぱり信頼なんてしなきゃよかった・・・」

「死ぬ病気じゃないから、適当にあしらわれて、解ってもらえない・・・」

「あたる場所があるのならあたりたい!」

「誰か助けてくれ・・・」

等など様々でしょう。

「信頼したいけど、できない・・・」悶々・・・

私たち鍼灸院は本来、もちろん西洋医学の治療や説明をする所ではありません。

物理的な身体については、国家資格保持者ならば、学校で解剖・生理・病理・心理・衛生学等の基本の上に、漢方概論や鍼灸理論などを必須に学びますし、国家資格試験もそれに準じて出題されてきます。

本当ならば、その独特の身体観で心身を眺め、鍼灸医学にのっとった診断で施術を試みるのが長所なのだと思うのですが、昨今の日本の教育の賜物で、身体や不調に対する画一的な物の見方のみが世間一般に浸透する中で、現代医療のおかれている立場を、この際、より客観視してみる事を、患者さんに提案することに時間が費やされていたように感じます。

さて、色々な思いは一旦そっと置いたままにして、一段階、客観的に眺めてみると、

○「目的」と「手段」が混乱している事
○目的をつかむ為の手段が「一つしかない」と思い込んでいた事
○手段が他に見つけられない事
○いくつかの手段から選ぶ時に必要な、それらの「前提になっている考え」を知らない事、知ろうとしない事

などが、まずはそもそもの混乱を生み出しているように思います。

簡単に言ってしまうとその結果、サービスを「提供する側」と「される側」のギャップが激しいのが、今の医療業界といえるかもしれません。

冒頭の例で言いますと、まさか癌は無くなったけれど、命もなくなった・・・健康な部位も失った・・・

という事になるとは思わなかった・・・という事では話になりません。

が、知らなければそうなりかねません。

しかし、当院のホームページでも書いていますが、現代医療の考えの前提が「人間機械論」ですから、良いように考えても、身体のパーツは「生きている部品」という考えで見ているのだ、と患者さん側が知っていなくてはなりません。

「目で見える物を真実だと認識している方々」なのです。

ここでは、いい悪いを言っているのではありません。

そういう「前提」でものを見ていると知った上で、長所を上手く享受できるように付き合うのがいいという事です。

もう少し踏み込んで具体的に挙げれば、今主流の医療システムの中で「手段を選ぶ」としたら、以下の項目になるという事です。

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・各種検査(健康保険内で一度にできる項目数は限られているので、どこにあたりをつけるか?が決め手になります。あたりをつけたカ所で異常がなかった、、、という言い方が本来妥当だと私は思います)
・投薬(漢方薬も含む)
・手術(外科)
・放射線
・麻酔

挙げてみれば、皆さまの希望する目的を叶える為に、この中から選ぶ事がスタンダードだと仕組まれているサービス形態だという事を、もっとハッキリ自覚するべきでしょう。

日本では健康保険が普及していますから、良くも悪くも皆、「目先の費用が安い手段だ」という事も重なって、この中から選ぶ事しか考えなくなっている現実があります。

それでも害がないなら、こんなに良い事はないのですが、経営的にも独立行政法人に代わっていますし、現実には結構酷い事が起きているので、思わず書いてしまっている訳です。

いざという時、白衣を着た権威者にどう話したらいいのか解らない・・・という方がほとんどだとは思いますが、どういう角度からものをみている先生なのか?は知ろうと思えばわかります。

日本という国は「前提」を口にする事を躊躇する社会だという事はよく言われます。

どんなによい医師でも、この手段の範疇から選ぶ事を前提に教育されている人間だという事を知ってお付き合いする事です。

その冷静さと客観性が、あなたと周りの大切な人の命を守り、過ごす時間の質をあげる事に繋がると信頼しています。

よくある話では、医師のいう「癌の治癒」とは、統計上の5年生存率が基準だったりしますから、事と次第によっては、患者さんの思い描く「治癒」や過ごす時間の質とはかけ離れていたりもするものです。お互いの為にも、知る努力はしてみるべきではないでしょうか。

本来は税金で賄っている健康の保障ですから、皆の健康に本当に寄与する為にはもっと違う仕組みのあり方があるとは思いますが、何せ原発事故の一連の流れであからさまにハッキリしたように、「巨大なお金と利権」がからみあって、本来の健康に寄与するはずのものも、なかなか表に出て来れない事情がある事は明白になりました。

しかし、生身の私たちの人生に起こる事は、制度が整うまで待ってはくれないかもしれません。

また、病が見つかった時には進行が早く、調べる間もなくなる事だってあるのです。

そんな時だからこそ、今大事なのは、自分たちの命は人任せにしないという立ち位置を思いだす事なのではないでしょうか。

長い物に巻かれていれば、お上がいいようにやってくれるという時ではなくなり、多様性がある事に個々が目覚めていく時期なのだと思います。

そして、よくも悪くも今の時代、自分で決断して責任をとる必要がでてきました。

日本人にとって、久しくしまいこまれていた能力なのだと思うのです。

自分や家族にとっての幸せとは何だったのか?

その為により良い手段は何なのか?

選ぶ治療法でも雲泥の差がでる事を、もっと知って下さい。

あらゆる業界、世界で起こっている事だと思いますが、今まで隠されてきた事があからさまになり、嘘が隠せなくなってきました。ここを乗り越えたら、きっとパワフルな自然の摂理にそった時代へ踏み込んでいけそうな予感がしますが、今たまたま体調が優れないという方は、キッカケが自分に起こったと捉え、

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・今まで1つの権威で封じ込まれていた事実を知る、
・権威が押し付けてくる恐怖心をあおるやり口を知る、
・身体を通して伝えられるメッセージを知る、

というスタンスを持って不調の時期を過ごせれば、結果を危惧してイライラする時間とは別の次元の収穫が得られるものと思います。

そんな波動が、いずれ肉体という物質に影響を与え、またそれと同じくらい、肉体に施される他力が、波動にも影響を与えるのだと思います。

当院でご縁する事ができました皆様に、身体を通して施す他力が、よいものになる事を願っております。

今回はこれで失礼いたします・・・。(©  Kanai Tomoko)

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