■ 入江FTシステムを活用した未病診療とは?!・・・
※ 西洋医学の色メガネとは?
さて、これまでの項で、繰り返し述べてきましたが、今を生きる私達は、東洋独自のものの見方よりも、物質的なものの見方を重視してきました。それが、文明であり、オールマイティであり、パーフェクトだと信じる事が出来るほど、パフォーマンスにも長け、国策にもなっているのですから仕方の無い事だったのかもしれません。
と言いましても、
「西洋医学の色メガネで見ていては、見えるものも見えなくなる」
と言われるのも事実で、一度そちらから見るメガネにかけ慣れてしまうと、違うメガネをかけようにも、どうしてもシックリこない・・・という風になるのも事実だと思います。
ここでもう一度、科学的西洋医学と東洋医学の身体や人間の捉え方の違いをより臨床の現場に近い観点から簡単にまとめていきます。
その上で、“積極的メンテナンス”として、また何かの時の治療法について各自皆様の考えを持たれたらよろしいのではないでしょうか?
二千年前、中国の医人たちは、薬草学と医学をドッキングさせ、その基本原理に陰陽説、五行説、臓腑経絡説などを使用して、現在の日本で“東洋医学”と言われている物を創りました。
しかし、日本では、その基本原理は嫌われ、証明される事もなく、枝葉の応用法だけが行われてきました。(中国でも大差ないと思われます)
特に薬草学と鍼灸医学は、今現在は全く別に扱われ、両輪としてかみ合う事が難しくなっています。今回は、ここはサラッと流しますが、本来漢方薬を含む東洋医学の診断法で大切なのは、西洋医学の“手に取る事が出来、目で見る事が出来る解剖学的なもの”を臓腑として扱っていない点です。
東洋医学を創造した医人たちは、
■“生きている人間を対象として、死んだ人間は対象にしなかった”
という点で、
“正常な時と病気の時と、情報は体表に投影される”
ということを発見したと思います。
東洋医学の臓腑は、その情報が体表に投影されたものであり、その投影像は極めて緻密な情報処理によって解析されるのです。
例えば、よく患者さんと話していて困るのは、臨床の現場でこういった予備知識のない方には、この概念が解り難く、また西洋医学の解剖学上の臓腑と同様に受け取られてしまう事です。
肝の臓を例えにすると・・・その投影像から感知・検出したデータというのは、
・ 顔の表情
・ 感情表現の態度
・ 六部定位の脈
・ 声色
・ 腹症
・ 味覚
・ 色
・ におい
・ 経脈
・ 経穴
・ 背部
等々の多彩な情報処理システムで処理され解析されます。
その結果により病気であれば、肝の臓自体のものか、他の臓器から影響されたものかなどが決定され、湯液(漢方薬)・鍼灸・按摩などの各種の治療法が選出され、予後(見通し)まで指示されていくものなのです。
鍼灸医学の臓腑観は他と少し違い独自に、皮膚上(体表)に情報を直接に伝達できるルートを持っている事を認識しており、このルートを経絡と呼んでいます。
臓腑は、この経絡を通して体表に直接情報を伝達できるシステムになっているようです。
またこの経絡上の経穴という特別な『情報送受信』の帰納を兼ね備えた何かがあるとし、病の時には、その情報は、経穴にも投影され、適する刺激(信号)を施せば、ルートを通じて臓腑の治療穴にする事ができるようです。
適する刺激の種類には、まず「補と瀉」の2種があるとしています。
理論上での大枠では、
「補とは不足したものを補うことであり、瀉とは余分になったものを放出することである」
とされています。
これを、時・所・場所に応じて、または“気・血・水”・エネルギー等の状態や前項で述べた六淫の邪が起こしたものか(因果の因は何か)等、臓腑もからめて変換して応用していくのです。
経穴はその他、鍼や灸以外に、薬物、磁石、温度、方向、そして色にまで反応する事が実証できています。
入江FT(フィンガーテスト)を使用し、“身体の拒否権”を尊重して色を貼り付けていくと、即効に近い効果を得られるものもあります。
● まとめ
肝臓という解剖学上の臓器は昔の医人たちも、もちろん見て知っていたと思われます。(古代医人たちも想像以上に解剖学に詳細な知識があったことが解っています)
『それが、病人でもなく、正常な人でもなかったならば、その臓腑は東洋医学の対象とするものではなかった・・・』
と入江先生は仮説を述べられています。
もちろん、実際の臨床では、経絡やそれをベースに観た経穴と臓腑が全てではなく、前に書いた“経筋の症”という「ひきつれ」や局所的な視点などを組み合わせていくことになります。
